b i t t e r s w e e t

人生は b i t t e r s w e e t

捨てる神あれば拾う神あり

こんばんは。私にとって、いよいよ1年が終わるんだなあとしみじみ実感するイベントはM-1グランプリなんですが、そのM-1も先週終わってしまいました。

(今年は、私の好きなコンビの健闘を敗者復活で見れてうれしかったです。)

 

年末が近づいてきましたね。

 

 

年末年始のイベント時期は、一緒に過ごす人がいない場合は寂しくなることがあるかと思います。私も今年はそうですけど。笑

でもそれでも不思議なもので、12月の年末の雰囲気はとても好きなんです。

別に一緒に過ごす異性がいなくても、年の瀬に近づいていく街の雰囲気が好きで、毎年わりとこの時期だけは「今年もお疲れ様、、」と思ってゆっくり穏やかな気持ちで過ごせるというか。

 

 

ただ、今年はあまりそういった心持ちでいられないような気がしていて「今年は人生で一番もやもやした年末になってしまいそうだ」と11月末くらいまで思ってました。

 

私は今年とても辛い恋愛をしてきたので、そんなことを悶々と考えていたら「自分がやってきたことに対して決着をつける時期かもしれない」と、いきなり清算したくなったのか、無意識に行動していました。今年一番つらい出来事に自ら飛び込んでいきました。

 

行動をとった後は、もともとゆるい涙腺が緩みっぱなしで、電車の中でも思わず涙がこぼれてしまったり、そこで泣きながら寝たりと、もうアラサーにもなってひどいもので散々でした。

でもそのおかげで、ひとしきり苦しんだらスイッチが急に切れたように心のモヤモヤが取れ、ずっと悩んでいたことから解放されました。

 

 

やっと穏やかに年末を迎えられそうです。

 

 

 

 

私は、やらずに後悔したくないというのがモットーなので、今年一年、何か相手に大事にされているかもと感じられる行動がある限りは、心のどこかで「もしかして」という気持ちを持ち続けていました。実際に、前向きに解釈すれば「もしかして」と期待してもいいかもしれない、と思うことはいろいろとありました。

ずっと一緒にはいられない気がしていても、自分で勝手に「もうあきらめよう」と思って離れたら後悔してしまうので。

普段の私ならばやらないだろうな、ふつうは受け身の自分がここまですることは考えられないな、ということを今年はずっとやってきました。

 

でも、ものすごく努力をしてやった、というよりは、そうせずにはいられなかった、という感じだったかもしれません。

もちろん傷つくかもしれないので勇気が必要なことはありましたけど、それは「やりたくないけどこうしたほうがいいから頑張ってやった」とかそういう理論に動かされたものではないんですよね。こうしないと自分の中で納得がいかないから体がそう動いたというか。恋愛の原動力ってすごいもんなんやなと思いました。

 

 

そういう「自分の枠を無意識のうちに飛び越える」というのは恋愛の醍醐味のひとつでもある気がしているので、それはそれでとても貴重な経験をさせてもらったと思ってます。なんやねんその仕事みたいなコメントって感じやけど、最悪の経験だったなんて言い方はしたくないし、実際そうは思ってないので。

 

 

あと「これがダメだったらもう無い」みたいな気持ちもどこかであったんだと思います。頭では、別にそんなことはないけど…と考えていたつもりだけど、たぶん本心では「これじゃないともうダメ」みたいな気持ちになってしまっていたのだろうと。

だから、こんな気持ちになるんだったらもっともっと早く手放せばよかったと。しがみつくのをやめればよかったと、思いました。

 

 

そうしないと、世界が広いことがちゃんと見えないなって。

もちろん、今までも理論的にはわかっていて、世界が広いことを何度も何度も無理やり見ようとしていたんですが、そういうときはうまくいきませんでした。

 

 

今回決着がついてから、いろんな人から今年もらったやさしさのことを思い出して、それも一緒に涙が出てきたりしました。

 

意外と身近にも出会いがあるかもしれない、と思うようになってきました。

お見合いパーティーもアプリも自分には合わないというか苦手だったのですが、街コンはとても楽しくて自分に合ってるなということもわかりました。

こういう条件は必須だと相手に対して思っていたことが、実は自分が狭めてきただけで全然大したことない条件だったかもしれない。と思いました。

そういうことも、しがみついていたうちは正直全然思うことはできませんでした。

 

 

今年いちばんつらかった日に、たまたま全然知らない人と雑談する機会がありました。 

運命の人って、急に出会うものじゃないですかね?そういう人に出会ったら、もう年が何歳とか付き合った期間がどうとか関係なくなるし、一気に進むものだと思います。やよいさん、近いうちにそういう相手と出会って、1年以内に結婚してるんじゃないですか?」とその人が言っていました。

 

私より何歳も年下の方なのですが、慰めてくれたというよりは、まるで根拠でもあるかのような言い方だったので、神様からもらった言葉のような気がしてきたんです。

 

 

そうか…私フットワーク軽いし、もしかしたらそういう相手に近々出会うのかも…?と思わせてくれました。

 

 

自分の目の前の沼に近づきすぎて入りかけてしまうと、その周辺には沼ばかりではないことに気づきませんでした。

あまりにも対象物との距離が近くなると、その周りのことがわからなくなると思う。引き返して遠ざかってみたら、全体像がやっとわかるんだと思いました。

 

私を捨てていく人がいれば、そのぶん興味をもって拾ってくれる人もいるかもしれないと思えたのです。やっと自然に。

 

 

 

 

あとは、出会ったときにこの人と一緒にいたいと思わせる魅力ですかね。

これからも頑張っていきたいと思います。

恋の味を味わった2017年のこと。

恋の味を痛烈に味わいたいならば、

それは片思いか失恋する以外にないだろう。

 

文芸評論家の亀井勝一郎さんという方のお言葉だそうです。

 

痛烈に。

この単語がまさに適切だと思いますが、片思いや失恋には人を想うことの美しさ、報われなさと残酷さ、それから人が味わうすべての感情が含まれていて、恋愛の味を見事に味わい尽くすことができるのは、両想いの恋よりも片思いや失恋といった切ない状況であると思う。(別に両想いの人に対してひがんでるわけではありませんw)

 

 

私は、これは幸せなことではないとずっと思っていたんですけれど、

甘さも苦しさも、全部含めて今年は痛烈に味わってしまいました。これは正直、完全に予想外の出来事でした。

幸せなことではない、と私はさっき言ったけど、これはこれで必要な経験であったということを感じられる出来事だったのではないかな、と思っています。

 

 

ある人が言っていました。「愛する人との別れは世の定めだけど、出会いには意味があるから、その人と出会えた意味を考え、それに感謝しましょう」と。

気休めではなく、出会ったことに意味があったっていうのは確かにそうだなと。

私の場合は彼に出会ったことで変わったことはたくさんありました。

本当に、自分が変わったとは思います。出会っていなければ、今これはやっていなかったんじゃないかなと思うこともあります。

 

そういう意味では、今こうなったのはその人のおかげだと思うので、きっかけをくれてありがとう。と思っています。

彼に出会って味わった感情は、必ずしも前向きなものばかりではありませんでした。辛いこともありました。

 

 

今、恋愛で悩んでいる人はたくさんいるでしょう。

でも、なんでも前述のとおり「その人と自分の間に起きたことについては無駄ではなかったし、意味がある」ということは間違いないんだろうなと私は思っています。

私の場合は、彼に出会ったことによってこういうことを頑張ろうとか、こういう世界があるなら私もやってみたいと新たな好奇心が生まれたり、もっといい自分になろうと今までになく努力をし始めました。

 

本当に彼が「いなくなったら」こんな努力しても意味ないやと自暴自棄になる可能性がゼロではありません。

でも、一時的にそうなっても、きっと始めたことは元通り続けている気はしています。もし、どうしようもないくらいに落ち込み、何もできなくなったとしても、それまでに使った時間は無駄ではなかったはずです。新たな世界を知れたわけなので。

きっと何かの糧にはなるはずです。

 

 

恋愛で苦しいと思っている人がいたら少しでも気休めになってくれたらなと。

 

 

 

今日も街を歩いていて幸せそうなカップルがいて、いいなあと思いました。

でも、はたと思った。「もしかしてこの人たちも本当は恋人じゃなくて、かりそめの関係の可能性もあるんだよな。もしかしたら不倫している2人かもしれないし」と。(たぶん普通に付き合ってる2人だとは思いますけどww)

 

以前、彼の大きな傘に入って一緒に帰ったときも、傍から見たら私たちは普通のカップルに見えたかもしれないなと。すごく幸せそうに見えただろうなと。

本当は私たちは付き合っているわけではないんだけど、周りからの視点で考えたら「いいねえ」と思われたことはあったかもしれません。

だから私が今日うらやましいなと思ったカップルに対しても、隣の芝生は青く見えるだけであって、何かあるのかもしれませんし、ないかもしれませんけど過去に恋の痛烈な味を味わってきている人たちかもしれません。

 

 

しかし、「痛烈な恋愛」といえば、小説みたいな第三者の視点で見れば美しかったり甘美なものかもしれないけど、実際に現実それを味わっている当事者の自分はめっちゃつらくて情緒不安定にもなるししんどいし、人生つらいんですけどw

て思っている人もいると思う。というか私がそうでした。

 

私の知っている人で、恋愛相談ならこの人にぜひしたいと思う人がいるのですが、最近ありがたいことに私の話をきいてくださって、こんなアドバイスをしていらっしゃいました。

「彼と会ったり話したり触れたりしたとき、ドーパミンがめちゃくちゃ出るけど、満たされなくなった時は逆にものすごくつらくなって麻薬中毒者の禁断症状みたいになってしまう。相手が生身の人間だから、どうしても傷ついてしまい、精神的によくない。」と。その通り。

 

じゃあどうすればいいかというとその満たされなさを恋愛に使うのではなく、仕事でそういう刺激を味わっていけばいい。仕事ならばどんどん探求していけるし、人の感情を相手にする恋愛ではなく、仕事の方面で欲求を満たしなさいとのことだった。

 

確かに恋の味にどっぷり漬かっていた私には適切な助言でした。

 

 

目抜き通り

目抜き通り

  • アーティスト: 椎名林檎& トータス松本
  • 出版社/メーカー: Universal Music LLC
  • 発売日: 2017/04/20
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  • この商品を含むブログを見る
 

 

GINZA SIXの曲として有名になったこの曲ご存じですか?

椎名林檎さんとトータス松本さんの共演という意味でも素晴らしい作品だと思いますが、私はこの曲の歌詞がとても好きでして。

つらい仕事にご褒美がないときも

惚れた人が選んでくれないときも

 

不幸だった訳がわかっている

今は損しただなんてまるでおもわない

 

辛い仕事にご褒美がないことも、惚れた人が選んでくれないことも、私だけではなくて世の中でよく起きている出来事なのだと思います。

人によっては重たい歌詞が続くという解釈になるのでしょうが、私の個人的な解釈としては「そうやって辛いことがいろいろあるけど、それでも人生は限りあるから十分かみしめて味わっていこうよ、楽しもうよ」っていうことではないかしらと。

 

年末まではじっくり今年できなかったことを考えて一つ一つやっていき、それから時々は痛烈な恋に思いを馳せながらも、前に進んでいきたいと思います。

イプサの肌診断に行ってきた話。

結構有名なので、行ったことある女性は多いかもしれませんが、

 

わたしも行ってきました!イプサの肌診断!!(無料)

 

 

以前にも書いたかもしれませんが、自分の見た目を磨くことに関しては、私は一般的な女性よりもこれまで努力してきていなかったと思います。

私はどちらかというと昔から「今、元気がなくてそういう気分ではないから」「彼氏や見てほしい男性がいる日じゃないから」といった理由で最低限の化粧しかしないっていうことが多くありました。恥ずかしいことに、もともと誰かが見ていないところでは、あまりおしゃれに興味がない人間でして。

でも、元気がないから化粧をしないんじゃなくて、化粧をしないから元気が出ないっていうところもあるなって(やっと)今年になってから気が付きました。

 

ということで、今までなかった分も含めて取り返すくらいの勢いで美容に関心を持っている最近の私なので、これから美容関連の記事を多めにアップするかもしれません。自分の記録としてもそうですが、何かの参考になればと。

 

で、今回の内容ですが、イプサの肌診断の存在はほかの方の美容ブログを見ていて知りました。

無料でやってもらえる上に、結構細かい診断をしてもらえて評判もよいサービスのようだったので、これは私も行くしかない!と思って早速行きました(好奇心強めのタイプなので行動が早い)

 

カウンターに行くとお姉さんが「何かお探しですか?」と聞いてくれて「化粧水が気になってまして」と言ったら「ちょうど肌診断の予約がキャンセルになったところなので、少しお待ちいただければ肌診断もさせていただきますがいかがですか?」と。

人気とは聞いていたけど、予約がないと飛び込みではなかなかやってもらえないということを、そのとき初めて知りました。無料診断恐るべし…!

ちなみにあとで聞いたら、平日など人が少ないときならば飛び込みでもOKなことが多いそうですが、都心にある店舗や土日、連休などは予約したほうがいいようです。

 

カウンターに案内されて目から下のメイクをふき取ってもらい、何度か肌のいろんな部分に機器をピッとあてられて、診断されていきます。ちなみに、モニターに自分の肌の拡大した映像がうつって自分でも見ることができます。セロハンテープで角質も取られました。

拡大された自分の肌を見ているときの私の感想は「毛穴大きい…」でした。笑

(ちなみに診断結果のデータ解説も載っているのですが、このとき見た自分の肌は、肌質Ⅰ~Ⅳのうち、自分が診断された肌質Ⅲのサンプル画像に一番近かったです。納得の結果…)

 

ちなみに、結果でいただいたのはこんな感じです。

 f:id:bittersweet-now:20171104193108j:image

 

これだけ見てもよくわからないけど、内容の解説を聞いていたら思っていた以上にいろんなことがわかるんだなあと思いました。

まず、先天的肌質というのを診断してもらえて、これがみんなの知りたいところかなと思いました。私は「Ⅲ」と書いてありますが、Ⅰが「脂っぽくツヤのある肌」(脂性肌)Ⅱが「みずみずしくなめらかな肌」(普通肌)、Ⅲが「脂っぽいのにカサつきやすい肌」(混合肌)Ⅳが「カサつきやすい肌」(乾燥肌)です。

水分量と皮脂量をもとにこの4つのタイプのどこに属するか判断してもらえるみたいですが、記載の通り私は水分量18(かなり少ない)、皮脂量62(多め)なのでⅢの「脂っぽいのにカサつきやすい肌」(混合肌)になりました。ただし、皮脂量が標準より少し多めくらいなので、皮脂が少なくなる季節はタイプⅣに近いとのことです。

この結果は割と自覚していた通りで、私はかなり乾燥するタイプだというのはずっと思っていましたし、コスメカウンターでも何度か言われたことがあります。ただしTゾーンのテカりが気になったり、この年齢になって自分は混合肌では?と思うことが増えてきたので、なるほど確かに、という感じでした。 

 

 

あと、後天的肌状態というものを診断してもらえます。私は「D2」と書いてあります。これはD1~D4の段階で、生活環境などによって肌が受けてきたダメージを表しているそうですが、4になるほど大きいそうで、私はまだそこまでではないようです。ちょっとホッとしました。(ただしD2の人が多いようではあります…)

 

「ハリ・弾力」の項目は50以上あれば標準、66以上ならば良好だそうです。私はこないだRNAのBAさんに「お肌のきめ細かいですね~!お肌すごいきれいですねー!」って言ってもらってちょっとうれしく、「そう?」とか思っていましたが、数値的には標準くらいってことでしたw

 

ショックだったのは「透明感」の項目…かなり低いので美白ケアが必要だそう。

(基)と書いてあるのですが、これは基底層のことで、カッコ内はその人が最も透明感を失わせる原因が書いてあるそうです。私の場合は基底層のメラニンの過剰発生が原因のようです。「角(角層の水分不足)」「血(血行不良が原因)」がほかのパターンです。

 

ちなみに、私が今いちばん悩んでいるのはシワなんですが、エイジングケアにあたってたるみを感じやすいタイプかしわを感じやすいタイプかも診断してもらえています。「S/G」と書いてある項目がそれにあたるのですが、100に近いほうがよく、Gがより低い私はしわを感じやすいタイプだそうで…

 

私は肌ケアがどうのこうのという名目でカウンターに来たことになっていますが、実は私が一番興味をもったのは一番下の「素肌色」と「ひずみ」というところです。今回はメインではないので詳しく教えていただけませんでしたが、これで自分の肌の色がある程度わかってくるので非常に参考になると思いました。

自分の肌の色がどうなのかっていうのが実は非常に気になっていまして(パーソナルカラー診断ではウインターでブルベでしたが、本当に私ブルーベースかしら?と思っていてファンデの色やチークの色迷子だったりもする)、今度、もうちょっと詳しく聞きたいです。

ちなみに「ひずみ」っていうのは自分の肌に足りない色のことで、ブルー、ピンク、イエローのどれが足りないかは「イエロー」だったので、私はやっぱりブルべなのかな…と思ったりしています。

 

 

イプサの売りはこの肌質にあわせた肌ケア製品を提案してくれるところで、この診断が終わったらその製品をタッチアップしていただけるし、サンプルもちゃんとたっぷりもらえます。(うれしい)

f:id:bittersweet-now:20171104214240j:image

 

イプサの化粧水はたぶんすごくいいなだろうとは思いますが、ここは試してからにしようと思って何も買わずに去りましたが、いやな顔は全然されませんでした。イプサ神対応…

 

  

 

 

さて、冒頭でも美容に力を入れだしたのはなぜかということを言いましたが、美容やおしゃれのことをいろいろ考えているときは楽しいものです。

このブログで以前にコメントくださった方もおっしゃっていたのですが、メイクやファッションで心持ちが変わるというか、それによってテンション上がるっていうのは、本当にあるなって思って。

 

私は今の会社では毎日能面のような顔をして仕事をしていた時期もあって、髪も櫛でといただけ、メガネ&ほとんどすっぴんという感じでした。

いま思い返せば、その時期は人と話すときに「後ろめたい」「目を合わせたくない」「背筋を伸ばしてシャキッとできない」っていう気持ちが大きかったなと思います。でもそれは仕事に対するやる気がないからだと思っていました。

そんな日々の中、たまたま好きな人に会った次の日、ナチュラルハイの状態で好きな人仕様のばっちりメイクで職場に行ったらみんなが「あれ?」って感じで驚いていて。でも、覚えているのは、いつもの「人としっかり目を合わせたくないな」みたいなちょっと後ろめたい気持ちがなくて、今日の私いつもより良くない?みたいな自信があるせいなのか、とても前向きな気持ちで過ごせたのです。

その日にたまたま飲み会があり(私は行かなかったのですが)「ところで今日のやよいさんがすごく綺麗だったよね」ってある男性社員が言ってくれて、ほかの男性陣もそうそう、って言っていたよと女性の同僚が教えてくれました(私はこれを教えてくれること自体が素敵だと思った)。

一番いい見た目の自分でいることで自信が持てるということもありますが、案外、みんな人のことを見ているんだなと思ったし、仕事しているうえでは見た目の気配りというのは自分が思っている以上に大事なことだと思わされました。

 

 

ってことで、イプサ試してみたいと思います…! 

 

結婚の国へ向かう友達を送り出す、独身のアラサーの話。

ここ1か月くらいの間で、友達の結婚式が2件、結婚式をすることになった報告が数件立て続けにありました。アラサーあるあるですね。

 

 

実は二次会の幹事もやりました。大規模なものではなかったとはいえ、ちょっとイレギュラーな形式のものだったこともあり、そのことで忙しくしていたおかげで日々の雑念は捨てられたような気がします。

私は日ごろから時間があればあれこれと深く考えてしまいがちな性格なので、それはそれで友人がくれたありがたい機会だったなあと思いました。それから、やっぱりこれも一種の自己満ではあるけど、意外と準備するの楽しかった。結婚式という前向きなイベントの性質からいっても、別に準備してて暗くなったりするようなことではないので。

友人にも喜んでもらえたみたいなので、よかったのかなあと。

 

 

実は幹事をした友人の2次会が終わった直後、旦那さんが別の会に行ってしまったので1時間ほど新婦の友人と落ち着いて話す機会がありまして(すごく珍しいパターン)。結婚当日の友人と2人だけで1時間おしゃべりするなんて、たぶん最初で最後の経験だと思う。ちょっと考えさせられたので、ここに書き残します。

 

 

そのときの友人は「幸せいっぱい」みたいな感じではなく、なんだか既にとても現実的な感じであった。「これからの生活への不安みたいなのが、結構ある。子供のこととかも覚悟ができてなくて」と言っていた。

全面的にハッピーな感じではなく、どこかこれからの生活への不安をにじませていたのが印象的でした。すべて終わった後でほっとして、友達の私に本音の一部を見せてくれたに過ぎないとは思いますが、結婚式当日に友人がそんなふうなことを言うことが想像つかなかったので、私はいささか驚きました。

 

ああ、結婚するひとも、結構不安いっぱいあるんだなあ」と。もちろんその人の性格にもよるし、ケースバイケースでしょうけど。

 

その子は旦那さんとは非常に長いこと付き合っていたのですが、結婚前にプロポーズを保留にしているということを聞いていたので、なんとなくですが「本当にその人と結婚していいのか?」みたいな彼女の迷いを感じていたのもあり、余計複雑な気持ちになりました。

 

 

結婚式後に話した彼女は「まだ心のどこかで結婚に迷いがある」みたいな風に見えました。「プロポーズを保留にしていた時期があったじゃない?それは結婚自体を、まだしたくなかったし」とその日も言ってました(私からしたら贅沢すぎる発言)。

 

でも、今はまだ結婚したくない云々の問題は嘘ではないんでしょうけど、私にはそこまでハッキリ聞くことはできなかったものの(なんせ結婚式の当日なんで)おそらく旦那さんは彼女の一番好きな人ではなかったのでは、と勝手に推測しています。

たぶんそんなこと言われたら彼女は100%「それは違うよ」と否定すると思う。彼女も自分で気づきたくないし気づいていないかもしれないけど、第三者の視点からみてそう感じる何かがありました。

 

プロポーズを受けるかどうか迷っていると彼女が言っていた時期、私も彼氏と別れたばかりで「未練があるんだけど、これ消えなかったらどうしよう」みたいな話をしていました。

そのとき彼女から聞いた話ですが、彼女には今の旦那さんと付き合う前にかなり好きで尽くしまくっていた元カレがいて「もし、その人が今よりを戻そうって言ってきたら、私はそっちに行くかもしれないって思う。実際に行動するかどうかはわからないけど、未練なら、私もあるよ。今でもある。未練て時間の問題じゃないかも」って言っていたのが超驚きでした。

私と同じように元彼と別れてフリーの人の発言なら「そっかあ、あなたもね」とか思うんでしょうけど、彼女の場合は今の旦那さんとそのときすでにかなり長く付き合っていたし、プロポーズされるような段階まできているし、非常に仲がいいように見えたので元カレのことなんか完全に忘れていると思ってました。

だから「えええ?まじで??」みたいな反応したのを覚えています。

 

私は、今まで「前の人に未練あるけどね」みたいな気持ちで付き合った人がいないというか、今の人が一番ってスイッチが入らないと付き合いが続かないタイプなので、彼氏がいても以前の人に未練があるっていうのが未体験ゾーンだったんです。

「今までの彼氏の中で誰が一番好きだった?」っていう質問がきたら(全員と別れた今となれば)この人だろうなっていうのはいるけど、付き合ってるときはその時の彼氏のことを「この人が一番好き!前の人はどうでもいい」って思えるタイプなので、、

だから「元彼に未練がある」と言えてしまう状態ならば、イコール今の彼氏のことを実はそんなに好きになってないんじゃないんじゃないかな、と思っていた。

今なら、その気持ちはわかってしまうかもしれない、って思うのは私が大人になったんでしょうか?それは経験が増えて幸せなことなのでしょうか。

 

人間の感情ってそんなに一筋縄ではいかないし、世の中の男と女の問題はそんなにシンプルにできているわけではないので、ただ単に「旦那さんのこと好きじゃないんじゃないの~?」みたいな感想で片付けられない何かがあるなと、人のことながら悶々としてしまいました。

 

(もちろん式のときは心から幸せそうな顔で笑っている友人を見ていたので、結婚自体したことを後悔しているとかって感じではないでしょうが。)

 

 

一番好きな人と結婚するのが正解ではないときもある」ってよく耳にすることがあるけど、生活の面とかいろいろ考えるとそうなのかな、結婚という性質上。

だけど、ちょっと曇った表情の彼女を見て思った。

「この人だから一緒にいたいと思ったんだよね」って、結婚式の日くらいよどみない明るい顔で言えるもんだと思ってました。

いつも割とポジティブで、基本的にそんなメンヘラな気質ではないと思っているんだけど、その日のうちにそんな冷静なテンションになってしまう「結婚」ってなんなんだろう?と。

もちろん、結婚には不安はつきものだと思う。他人と家族になるんだから。誰だってストレスも不安もある。幸せって思うことばかりじゃないと思う。

 

 

 

でも、「実は今結構不安なんだけど」って言ってる友達の顔は「結婚、ついにしちゃった。もう、後戻りできなくなっちゃった」って言っているようでした。見てるこっちが、複雑でならなかった。

10年前のクリスマスは彼女と一緒に彼氏いないねーつらいねえって言って過ごしたんです。そのときのほうが幸せそうに私も彼女も不安などなく、笑っていたような気がしました。

どうしてなんでしょう?

 

大人になると、守るもの、捨てなくちゃいけないもの、複雑な葛藤、そういうものがつきものになるから混ざりけのない100パーセントの気持ちというものは、10代のころよりさらに少なくなる。それは大人になったということだ。たぶん。

 

 

 

 

 

結婚おめでとう。

オーソドックスな「モテ」はいらない。

私は「万人受け」なんて能力はいらないな、と最近思ったんです。

 

 

 

 

 

 

出会い探し的なものを意識しているとき、頑張って万人受けするモテ路線を目指してみたところで、自分が違うと思っている層からのアプローチを受け、結局お互いが違うなってなることばかりを引き寄せている気がする。

 

前に書いた日記とも少し通じますが、自分に合ったパートナーを見つけたいなら、がむしゃらに何人もと時間かけて会うのではなくて「自分らしく生きていくこと」の土台を作るのが一番の近道だと最近思います。ごくごくあたりまえのことですが。

 

 

私は「自分が型にはめられるのがものすごく嫌なんだなあ」と、ごくごく最近気づきました。(これに気付かせてくれた人がいて、その方には感謝しています。)

 

最近ある人が、「私の友達、もう30過ぎてるのに好きな俳優の追っかけとかやってるんだよね、大丈夫なのかなって心配してるんだ。」と言っていたのを聞いて、「何が?」って聞いたら「30過ぎて未婚だしさ」みたいなことを言っていて。

 

何が言いたいかはわかるんですが、でも、そのことと未婚既婚は関係無いだろうと私は思った。既婚者だって好きな俳優を追っかけてる人は沢山いますし、未婚の人だっている。その人がいう「大丈夫」っていったい何なの??と。結婚してれば「大丈夫」なんですか?って。

(ちなみに補足すると、その友達は仕事もちゃんとまじめにしているし、その趣味の活動で仕事がおろそかになっているとか、そういうことではないです。)

 

その友達にはその友達の世界があるわけで、その人が「婚活したいのに趣味で時間が取れない」とか相談したわけでもなかろうに。彼女の人生を幸せそうに生きているんだから、あなたに苦笑いされながら「ちょっと痛いよね」とか「友達としては心配だよ」とか言われるのはもしかしたら余計なお世話なんじゃないかなって思った。

私のひねくれた勝手な解釈かもしれないけど、本当の意味で友達を心配しているようには全然見えなかったんですよね。「それに比べて自分はまっとうに生きてる」みたいな。

それはあなたの目指したい路線と彼女が違うだけで、その友達にとっては望んだ時間の使い方かもしれないでしょ、って思って。

 

この件だけではなく、その人はほかにも「ふつうはこういう場合はこうでしょ」みたいな常識や多数派のやり方を支持するんだなあと思わせられる発言が色々あって、なんだか違和感を感じたんです。

相手は私に不快感を与えるつもりは全然なかったとは思いますし、ただ、どちらかというと型にはまったやり方を踏襲していくタイプの人なんだろうなと思って。

逆に私は(常識と反対のことをしたいと思ってるわけではないんですが)別に人と違っても、あまり一般的ではなくても自分らしいやり方ならいいんじゃない?と思っているほうで。時々変わってるねとか独特の感性だねとか言われることがあるので、かなりマイペースだとは思います。

どっちがいい悪いではないし、私のそういう考え方にも欠点はあると思っています。私のそういうやり方が正しいんだって言う気も全然ないし。

ただし、それをマイナスに捉える考え方の人とはたぶん合わないんだなと。

 

 

 

もちろん、世間でやっていくにあたってちゃんと気を使わなくてはならないこともあるし、それっておかしいのかなと不安に思ったりすることもあるけど。

この間、好きな人に「私、この年齢でこういうことしてるって言ったら驚かれることあるんだよね」ってぼんやり悶々としながら聞くと、好きな人はのんびりした口調でこう言っていました。

別に驚かないよ。何歳だからこうでないといけないとか、〇〇の人だからいつまでにこれをやっていないといけないとか、普通はこうとかそんなのはないし。何も変だとは思わない。」と。

 

たいていの場合、その人が好きな理由を言葉で説明することは難しいし、そういう(説明するような)もんではないかなと思うのですが、どういうところが好ましいと思っているのか、彼の好きなところのうちのひとつがなんとなくわかった気がします。

私の考え方の基盤が彼に近いというか、似ているものがあるので肯定的に聞いてくれるというのもあるのかもしれませんが。

 

 

このことに限らず、出会い探しや婚活において、私はどこか無意識に「万人受け」を狙っては、余計に疲れているようなところがあった。

パーティーでは「今日の人気第一位」とか、マッチングアプリでも「いいねの数が多い人と少ない人」みたいな。負けず嫌いの私は、そういう数値に敏感に反応して落ち込んでしまったりすることが過去には多々あったんですが、いまは、そんなのってどうでもよくない?と思ったりします。

 

思えば、私は万人受けのモテに近い路線(のファッションや行動)を狙ってしていたときは、全然タイプじゃない人がいっぱい寄ってきた。

「俺についてきて」みたいなタイプの人や自慢げな人が私は絶対に合わないと思っていて。会社の上司や先輩や取引先の人なら気持ちよく付き合っていくためにお世辞を言ってあげたり持ち上げたり、いい付き合い方ができるように頑張るけど、恋人候補としてはそういう人はまずないなと思ってるので、ノリできゃーすごーい!とか思ってないことを無理して言わなくてもいいんじゃない?「全然好きになれなさそう」と思う人に意味のない満面の作り笑顔なんかしなくてもいいんじゃない、と思った。

 

 

そんなことして負のオーラを纏うくらいなら、自分が好きな人にもっと魅力的に映るように、内面を磨いたり自己投資に時間とお金をがんがん使っていこう、と思うようになりました。

もっと好きな人といろんな話をしたいので、視野を広げるためにこんな場所に出ていこうとか、この分野の勉強を始めてみようとか。

 

自己投資した分、もし好きな人と結ばれなくてもそれは自分に返ってくるものだから。意味のないものでは全然ないなって。もっと自分のことを好きになれるんじゃないかなって、今は思っています。

 

 

実は今年後半は私の恋愛史上ではかなりいろいろあったほうで、私と好きな人を取り巻く状況はあまりよくないんですけどね。

 

どうなるかわかりませんが、詳細は今の段階が終わったら、落ち着いたら書いていきたいです。今は、自分の人生を楽しみながらも、好きな人と過ごせる幸せな時間があるときは、素直にかみしめて生きていきたい次第です。

「自分らしさ」っていったい何なのか。こじらせてるアラサーからの見解。

「気が付かない」よりは「気が付く」人のほうがいいし、

「ぼーっとしてる」よりは「しゃきしゃき動く」人のほうがいい。

 

 

 

私は、心の中でずっとそう思っていました。

 

どっちがよくてどっちが悪いというのはない、なぜなら人間には個性があるから。ってよく言いますよね。

 

理論的には「みんなちがってみんないい」の概念に納得していても、実際のところは、世の中にはさまざまなステレオタイプがある気がします。

相反するふたつの性格の特性があるなら、私たちはどちらかのほうが「優れている」と知らず知らずのうちに思っていることも多いのではないでしょうか。

例えば、活発なほうが静かな人よりもいいとか、さっき挙げたように、よく気が付くほうが鈍感な人よりいいとか。そういうの。

 

 

子供のころ「私なんて〇〇ちゃんとは違って明るくないから」「私なんて気が付かないし鈍感だから」といったら、大人は「物事には二面性があって、よく気が付くということは逆に神経質とも言えるし、鈍感ということはおっとりしているともいえるから、それが長所にも短所にもなりうるのよ、長所にするかは自分しだいよ」などと言われたものです。

大人になった今でもいろんなところで耳にする話だし、正論だと思う。

 

 

ただし、私は本当のところは、そういう話に対して「確かにそうだなあ」と心から納得したことが一度もなかった気がする。

 

「いやいや、でも暗いより明るいほうがいいに決まってるから!!笑」

「気が利かない子のほうがいいなんて人いる?ありえへんし絶対それは違うわ」

って思っていました。

 

 

でも、30手前になった今、「別に気が利かなくても魅力的な人っているんだな」転じて「こういうふうになりたいと私が思っている性格じゃなくても魅力的になりえるかもしれないぞ」と、人生で初めて思わされる出会いがあったのです。

 

 

 

 

 

 

私の知っている同世代の女の子で、とても不思議な子がいます。

 

彼女は職場で同じチームになった子なのですが、いつもにこにこしていて、私の職場で起きている理不尽なことにも、私たち既存の社員とは違って、感情的になったり怒ったりしません。

その子は、決して自分からササッと立ち上がってパキパキ動くタイプではないので、忙しいときは「気が利かないなあ」とか「なんかおおざっぱで雑だな」とか「普通はもうちょっと先輩より先にやろうと思うだろうに」などと正直思ったことがありました。

飲み会の時も「先輩にやらせちゃいけない!後輩の私が先にやらなくちゃ」みたいなよくある意識は特に感じられず、私がお酌しても、取り分けてても「ありがとうございます」ってニコニコしているだけ。私はそういう彼女が好きなんですけどね。

 

今の職場はともかく、私が今まで所属していた様々な組織は特に上下関係も厳しかったので、もし自分がそういうふうにふるまったら絶対に「あのねえ」っていう目で見られたり色々先輩からもネチネチ言われるだろうな、としか思ったことがありませんでした。

なので、私自身はそんなふうにふるまったことがなかったのですが。

でも本当に不思議なことに、彼女は決して嫌な感じを人に抱かせないんです。私は「どうしてなんだろう?」と思ってみていたら、あることに気づいたんです。

 

 

この子、自分に自信があるんだな。自分のことが好きなんだな。って。

 

 

 

思えば、私は彼女に出会ってからの1年間、彼女が「卑屈になっている」瞬間は一瞬も目にしたことはなかったんです。

 

 

もし、私の前の職場にその子がいたら、先輩社員にはどういわれていただろう?きっと、私が気を付けてても言われた「〇〇ちゃんはもっと早く動いて。もっと積極的に提案もして」を、もっときつい言い方で言われたと思う。

 

私の場合、そういうことを言われたら「ほんとそうだよな…私どんくさいもんな。みんなできてるのになんで私はこうなんだろ。だからダメなんだけど、、ボロが出ないように、一生懸命もっと頑張らないと」って思って自己嫌悪に走ってしまっていました。いつも。

でも、その子だったら絶対にそういうふうには思わないだろうな、と。

 

実際、前の職場は超厳しかったし女のお局がたくさんいたんだよねーって話をその子にしたら、その子がこう言ったのを私はよく覚えています。

「えー、やだ、そういうの怖いーー、そういう職場わたし向いてないですー」って。

 

 

 

私と違って、自分が間違ってるんじゃなくて、自分がそこに合ってないっていう発想をしている。だから自分の性格を大事にしてるんだなってことがよくわかった。

 

何かあっても、自分がのんびりしてるのが悪かった、みたいな態度は一度も感じたことがないので(別に傲慢に見えるという意味ではない)卑屈な態度にならないっていうことは、自分が思っていた以上にとても大事なんではないかな?と最近思います。

 

 

だし、付き合いが長くなったら、気が利かなくたって十分優しくて思いやりがある子なんだなとちゃんとわかるんですよね。

そもそも、問題に気が付いていないのではなくて、起きていることに気づいてはいるけどそれを自分がやったほうがいいのかやらないほうがいいのかわからなくて、瞬発力がないタイプなんだな、と彼女を観察してて思う。

だから「なんでもかんでも気が利けばそれでいいってもんじゃないんだ」とこの年になって初めて本気で思ったんです。彼女が気が利かないことによって私も変なプレッシャーを感じないですむし、ある意味それも無意識に分かっててやってるところもあるんじゃないかと思うし、その場の空気をよくしてくれているようにも思えてくる。

 

 

 

 

どうして彼女はこんなに自己肯定感が強くなれたのか、育ってきた過程で何が私と違ったのか、単に考え方の違いなのかわかりませんが、自分自身を正しく愛してあげられている子なんだと思いました。

 

 

 

いままで、私が自分を好きじゃないのは、自分の性格に直したいところがたくさんあって欠点が多すぎるからだと思っていた。 でも、たぶんそれは違うなということに気づかされつつあります。

結局のところは、どんくさいから自分に自信がもてないわけじゃない。

根暗だから、気が利かないから自分を好きになれないわけじゃない。

私が今とは真反対の性格でも、同じことを思っていたかもしれません。

 

自分のもともとの個性をそのまま愛そうと思ったことがないから、自分を十分受け入れられていないから好きになれないのであり、自分に自信を持てないんだと思う。

 

 

 

 

ミスチルの中で1、2を争うくらい好きな曲に「名もなき詩」という有名すぎる曲があります。子供のころからこの曲がとても好きでした。

(私の世代でこの曲を聴いたことないって人は少ないだろうけど、今の若い子ってなると、この曲知ってるのかな?私でさえ、この曲が流行ったときはまだかなり小さかったから。)

 

 

名もなき詩

名もなき詩

 

 

 

 

知らぬ間に築いていた「自分らしさ」の檻の中でもがいてるなら

誰だってそう 僕だってそうなんだ

 

 

ドラマの主題歌だったのでそのストーリーを意識している歌詞ではあるなと思いますが、この部分はやっぱりとても好きです。

 

自分はこうでなくちゃいけない、根暗じゃいけないし、もっと明るい女の子でいなくちゃ、私はこうありたいしこうあるべき、みたいな勝手な自己イメージや理想のようなものに結構縛られすぎていたかな、この年になっても。

 

思春期の高校生みたいなこと言ってますが、いまさらながら、そう思いました。

いとしさを超えて 悲しみを捨てて 新しい私に今出会うの

 

ノスタルジア

ノスタルジア

 

こんばんは。ご無沙汰していますが、一応生きてます。

 

読んでくださっている方はご存知の通り「このブログではあまり明るい話を書けていません」とかいつもよく前置きして、グダグダ言っています。

 

 

 

 

ブログを放置していた1か月間ほど、書きたい話はかなりいろいろあったはずなのですが、なんとなくブログから遠ざかってしまっていました。

そのせいか、タイピングしていてもさっきから書きたいことがうまく言葉に落とせないというか、いつも以上にぎこちない、もどかしい気がしています。

それは、考えがうまくまとまらなかったというのもあるし、最近はとてもめまぐるしい日々を送っていて、物理的に時間が取れなかったというのもありました。でもこうやって言葉にしようとしているだけで、気休めではありますが落ち着くし、やはり発散できている気がします。

 

 

 

前置きはこのくらいにして、10月に入ってしまいました。

 

 

10月に入って「しまいました」って言い方は、まるで、2017年の10月がきたことが良くないことであるような言い方ですが、10月に嫌なイベントがあるとか、具体的な理由は特にありません。ただ、入って「しまいました」と思っていることは事実なので、私の中でなんとなく後ろめたい気持ちがあるのでしょう。

 

独身のまま月日が流れているから焦っている、という理由だけではない気がします。

モヤモヤした気持ちのまま、人生がうまくいっていないと感じながら、月日だけが流れて行ってしまうことに漠然とした焦りを感じているので(ここ数か月間。)こういう言い方になってしまうのだろうなと。

 

実は私にとって大きな試験が夏の終わりにありました。自分なりに時間を割いてきたのもあって今年一番の挑戦だった気がするのですが、失敗してしまいました。

合格したら転職と引っ越しをしようと思っていたので、いったん振り出しに戻ってしまったなというのもあります。もちろん、また次の機会に挑戦したらいいのですが。何も得てないまま月日だけが流れているという後ろめたさがあって。

 

 

「人間万事塞翁が馬」っていう諺がありますが、何がよくて何が悪かったかなんて、結局はわからないと思う。

だから、別にその試験に合格したから成功ってわけでもない、それで人生全部うまくいくってわけでもないし、彼氏ができたから、結婚したからそれでハッピーエンドってわけではないと本当にそう思っています。

 

それなら今の恋愛に一喜一憂する意味もないじゃないですか。

悪いことが続いたからといって、それに惑わされずに毎日楽しんだらいいだけっていうのもわかってるんですけど、感情と理論がうまいこと繋がっていかないときがあります。

 

何をしてても、撮った写真ひとつでも「これ、好きな人に見せたいなあ」と無意識に思っている自分に気が付いて悲しくなりました。もう会えるかどうかもわからないのに。もう二度と会うことはないかもしれないのに。

 

 

 

私が思うに、好きって思う気持ち自体はたぶん何年たっても変わりません。

そこに「風化」があるだけだと思っています。

 

実際、一番直近で好きな人に会った日よりは今のほうが、その人のことは忘れています。

人の記憶は薄れていくものだから、やはり日常的にその人と会っていたときよりは、会わなくなったときのほうが気持ちが薄れやすいですよね。

いろんなことがある日常の中で、新しく「好き」という気持ちに日々触れ合わないまま、思い出だけで生きることは基本的には難しいので。

恋愛は、二度と会わない人とは進展することができないわけだし、その人が目の前から「気持ちが変わった」という理由でいなくなったら、新しいことに目を向けざるをえないのが普通ですよね。

 

でも、自分の気持ちとしては、時がたってその人のことを忘れても「好きじゃなくなった」わけではない。その人と離れていく運命だっただけであって。

なんというか、「この人のこと好きだ、どうしよう」って一瞬で思ったくらいには、最初からなにか感じるものがありました。

向こうがどう思ったかはともかく、相性がいいかどうかはともかく、「好き」という気持ちはずっと変わらない相手だという気がします。その人と出会ってからもうすぐ1年になるし、もう無いんだろうなって思って冷静になってからも、ここまで思う人は人生で3人目…かな。相当好きだったと思います。

 

 

打算的な気持ちもなにもなくて、ただその人に会いたくて、会ったらじわじわくる幸せが止まらなくて、今まで行動し続けてきました。

もしかしたら、もっと私のことを好きで好きで仕方ない相手と一緒にいたほうが幸せなのかも。なのにこの人と離れたくないと思ってしまう葛藤に苦しんだ。

 

 

でもそろそろ潮時だと思っているので、無理にほかに人に目を向けようとはしています。実は今マッチングアプリに登録する準備をしていて、知人に合コンのセッティングもお願いしました。

別に進んでやりたいわけでは決してないです。でも、気乗りしないことも次々やっていきたい。やってどうしても無理だったらやめたらいいし。

こうやって、もがいたり、別のことに一生懸命になったり、やっぱり無理に出会い探ししても余計にメンタル面が悪くなるわと思ったり、恋愛なんかもうしないと思ったり、そういうことが起きていくんだと思います。これから。そのなかには、予想外の展開もあるのかもしれません。ないかもしれません。

どんづまりなら、そうやってむやみやたらに動いて自分を苦しめないほうがいいかもしれない。どっちがいいのかも、正直よくわかりません。

 

 

でも、そうしないと前には進めないことだけは事実なんだろうなと。