ビタースイート

人生は 甘くて苦い

「嫉妬」という魔物

以前から書こうと思っていたテーマなのですが、なかなかまとめられずにいました。

 

最近「嫉妬」と向き合うことが多々あります。

  

以前、何かの記事で書いたかもしれませんが、私はたぶん人よりも嫉妬という感情を持ちやすいタイプなのではないかと思っています。

理由は、「自分がいちばんでいたい」という欲求が(幼少の頃から)人よりも強かった気がするから。

 

人によっては「そんな風に思ったことないわー」という方もいらっしゃるかもしれませんが、最近よく思うことを書いてみます。

この年になって嫉妬に巻き込まれる機会が多いのはやはり一番は恋愛絡みではないかと。異性に嫉妬するというケースもあるでしょうが、自分の同世代界隈で起こっている「嫉妬」とは、対・同性に対する嫉妬が多い気がします。

 

そもそも、直接恋愛が絡んでいない場合であっても、どこか女同士ってギスギスすることってありませんか?

私は正直、会社内の自分のセクションに、自分と年が近くて性格が似ている子がいればいるほどギスギスしてしまう気がしています。この現象ってなんだろうとぼんやり思っていましたが、最近よくよくわかった気がする。

ギスギスというのは必ずしも「仲が悪い」とか「関係がうまくいっていない」とかそういうことではないんです。普通に良好な関係であっても、その中に嫉妬という感情が渦巻くというケースも多いのではないかと…特に20代や30代のうちは。

 

 

嫉妬しやすい対象って、基本的に自分のコンプレックスに関連があると私は思っています。 だから、人によっては年が離れているほうがギスギスするのでは、という人もいるかもしれません。(若さに絶対的なアドバンテージを感じているとか、過去にトラウマがあったりなど)

なので嫉妬しやすい対象が人によって個人差はあると思いますが、私の場合、年が離れていれば「戦う土俵が違うので、まずそこで力量を比べられることは少ない」というふうに思います。

例えば5歳以上年が離れている人って会社内でのポジションも違うし、同じ目線で比べられることってあまりない気がする。

例えばアラサーの私がいる部署に新卒の女の子が入ってきたとして、「若い子がきて引け目を感じるな」と嫉妬に近い感情を持つこともあるとは思いますが、それは仕方がないことですよね。

その人のほうが若いんだから自分よりも若々しいのは普通だし、その人が自分よりも周りからちやほやされていたとしても「こんなに年も違うし、そりゃ○○さんは22歳で若いからそうなるよね」とある意味納得はすると思うんです。

同じように、自分が新卒のときにアラサーの先輩のほうが立ち回りが器用で仕事もできて、自分と比べてしまうということもありましたが、それも「年の差がこれだけあるんだから、当然といっちゃ当然」というふうには思えます。

 

でも、自分とほぼ年齢や入社時期が変わらない同性だったらどうでしょうか。

やることなすこと、すべて比べられやすい気がするのです。

それは「どちらが優秀か」といつも周りに品定めされているという意味ではないし、比べるっていうのは悪い意味だけで言っているのではないですが。違いが目につきやすいと思う。

それはなぜかというと似ているからですよね。同じ土俵にいるというか。

その相手と何か勝負していることが前提なわけじゃないので「土俵」っていうのもおかしな話ですが、不思議なことに無意識のうちにライバル意識みたいなものを多かれ少なかれお互いが持っている、そういう面ってかなりあると思うんです。

(これは男性対男性でもあるように感じますが…)

 

 

だからかどうかはわからないのですが、私って「自分と性格がとても似ている」と思う人よりも「自分とは性格は全然ちがうな」と思う人に仲良しの人が非常に多い気がします。10代の頃からそうでした。

婚活でもそうで、自分と見た目の雰囲気とか性格が割と似ている人は、本当は一緒に合コンとかパーティーとか行きたくありませんでした。

なぜかは言うまでもないですが、似ている人と比べられたら「自分はこの人よりも劣っているのではないか」と自分が感じた(または感じさせられた)時に、より傷つくし辛いから。

 

普段の生活でははっきり「勝ち負け」みたいな概念が生まれる場面は少ないけど、恋愛では基本的には一人の男性がいたらその人は恋愛相手は1人しか選べない。必然的に勝ち負けみたいなものが生まれてくる。

だから「自分以外の女の人が選ばれるのではないか」と思わせられる場面があったとき、人は焦り、嫉妬の感情をもちやすいですよね。

自分がずっとその人にとっての一番でいたいからこそ、そうなったら嬉しいし、逆にそうだった立場が逆転することも恐れる。

 

そういうとき、自分と似ている人が選ばれたほうが辛い。

全然自分と違うタイプの人が選ばれたら「自分みたいなタイプは好きではなかったんだ、自分には自分の個性があるけど、ああいうのが好みだったら仕方ないな」と自分を楽にすることもできるけど、自分と似ている人が選ばれた時のショックは半端ない。「自分とあの人は似たタイプだと思うけど、私よりあの人のほうが上だったのか」とはっきりと「敗北した」感じが生まれるからだと思う。

だから自分と似ているタイプの友達から逃げているわけでは決してないですが、無意識に自分と割と似ていないタイプと仲良くなるのは、ある程度これと関係ある気がしています。

 

さらにそれから飛躍するけど、会社内でも、例え相手に恋愛感情などなくても、ある程度人としての好感をもっている(というか自分が嫌いではない)男性同僚からの評価は実は割と気になるもんなんだなと思います。

例えば、自分と同世代の女性同僚のほうがその人たちと仲良く話していたり、ちやほやされている感じがあれば(何も自分がそうされたいわけではなくても)焦ったり、居心地が悪いと感じてしまいます。

これを仕事で挽回できればいいけど、仕事でも性格面でも彼女には勝てないわ…みたいに思ってしまう場面があると、本当に居心地が悪い。

 

 

私は会社内の人と付き合っているので、相手が女性の同僚やお客さんと雑談して笑っているのを見ただけで、いちいち心がザワザワしてしまいます。

はっきり言って「ちょっとは好意を持っているんじゃないか」と思ってしまうような態度を取っているように見える女性も少しいます。

 

でも、これはその瞬間に限ったことではないし、これからもそういう場面は結構あると思う。そのとき我慢できたら終わりじゃないし、人間社会で生きていく以上、そして相手がある程度モテる人であれば余計に、こういうのは一生続いていくと思うんです。

彼と同じセクションにも、これから今以上に多い人数の同世代女性が異動したり採用されたりする可能性は高い。仮に彼が別の会社に行ったって女性はたくさんいる。

とはいえ、相手のことを独占して束縛したいわけではないのも本当に事実。(恋愛相手としては独占したいけど)

相手にもたくさんの人とコミュニケーションを取ってほしいし付き合いも続けてほしいし、私もそうするつもりだし。

それは嘘ではないんです。

 

でも、自分に絶対的な自信があるわけではなく「自分が一番」であり続けられるかどうか不安になってしまい、より強い嫉妬心に結びついてしまうことが悪いループだな…と最近思っている。

感情なので仕方がないことなのだけど、嫉妬は魔物である、と今身をもって感じています。これ自体は感情なので自分の問題であって他の人に何か影響を及ぼすことはないけど、使い方によっては身を滅ぼすことになりかねないものだから。

とにかく重要なのは、自分が嫉妬に潰されることが一番いけないんですよね…

 

 

「もしかしたら心が揺らいでるんじゃないか」とか「こんなに仲良くしてて私よりもこの子に対してのほうがこんな話をしてた」とかそんなことを考えすぎて、自分の健全な心が奪われないようにしたい。

自分なりにやっているのは、「この場面は」これでいいや。と思うこと。

今は私は彼としゃべれないけど、そのかわり私は他の女の子と違って仕事以外でデートしたり好きなだけ喋ったりできるんだから、「仕事のときは」これでいいや、と思うことにしてなるべく他のことに集中している。

 

 

それから、墓穴をほってしまいがちなのは、このことを巡っての相手への対応。

相手によっても違うけど、この嫉妬の感情を口に出さなすぎるのもよくないし、出しすぎるのもよくないし、言い方も非常に気をつけるようにしなくてはならないと思う。

「すごいモヤモヤする」って正直に言ってしまうとスッキリするけど、相手によっては仕事なのにとムッとするかもしれないし、あるいは心配かけちゃいけないと思って変に気を使うようになってストレスになるかもしれないし、逆にそう言われたことによって相手の女の子を意識してしまうかもしれない。

 

大事なのは相手によってどの対応がいいのか考えることかな…と思います。

言ってほしいという人もいるかもしれない。

これは非常に難しいなと。

 

 

とはいえ、どの相手にもいえるのは「心配しないで」と言ってもらいたいからって嫉妬の感情を伝えすぎると相手がうんざりするということ。

 

自分の中で解決できるようになるに越したことはない。

この人は自分の信頼を裏切ったりしない人だと思った人を選んだら、あとは相手のことを信じられるように自分が強くなること。

 

嫉妬が恋愛のスパイスになるのも事実かもしれないけど、パートナーに対する嫉妬の対処法はそれに尽きるのではないかと思った。

 

私の場合、自分がそう思えるようになるためには、自分を磨く方向に転換していくことや相手とのコミュニケーションを深めていくことくらいしか今のところは思いつかない。これから考えていこうと思う。

いま、結婚式に対して思うことなど。

こんばんは。

 

私は3年近く前、結婚式に対して非常に飽き飽きしていた時期があり、このような記事を書いていました。

 

www.bittersweet-now.net

  

www.bittersweet-now.net

 

あまりにも個人的な感情を書き連ねていたので一度非公開にしていましたが、もういいだろうと思って再度公開に戻しました。

 

とにかくこの時期は結婚式が嫌で嫌で仕方がありませんでした。

いや、実はこの時期だけではなかった。去年、この記事を書いたときも結構辛くて、もう限りなく削られていたのに友達の結婚式に2件連続で参加し、もういいよと思ってしまっていた。友達、ごめん。

 

www.bittersweet-now.net

 

3年前の記事を見返して「おお、荒れとるな・・・」と思いながらも基本的には私の考えは変わりません。

そのときに出席した友人の結婚式はあまり気持ちのいいものではなかった、ということについては(当時の自分の状況が悪くしんどかったことを差し引き、冷静な視点で思い出しても)確かにそうだったよなとは思います。

 

ただし、アラサーを極めているこの頃、さすがに26そこそこの自分とは違い、結婚式を挙げる側にも寄り添えるようになってきたと思います。彼らも苦労していて、そっちの事情がリアルにわかるようになってきました。

あ、私に結婚の予定はありません。

 

別に今、昔言ったことが間違ってるとか、やはり正しいとか、そういうことを言うつもりはないのですが、単純に以前とはほんの少し違う視点をもてるようになってきたので書いておこうと思って書いています。

 

 

 

まず、身近な人が結婚したことで、結婚式を挙げということは相当な大変さを伴うのであろう、ということが身にしみてわかりました。

あとは自分が少し心の余裕ができたことにより、少し他者目線で考えようという気持ちが以前より大きくなったこともあるかも。

 

なぜ大変かというと、彼らは入籍まで至っているか至ったばかりの新婚ほやほやの時期であり、ある意味今の現在の生活や関係性に慣れていないことがほとんどだと思う。

お互い良好な関係を保つことが最大の関心事ともいえ、フリーのときの気楽さのようなものがなく(相手とうまくいっている、いってないは関係なく)ある一定のストレスが必ずつきものだと思います。

そんな中で、結婚式のゲストをどうするか、そして上司等にも気を使わなくてはならず、スピーチや乾杯の挨拶をお願いしたり、式を挙げる以上余興もお願いしなくてはならない、二次会をどうするか考え無くてはならない。お互い仕事をしているケースがほとんどだとすれば、これらのことは相当なストレスだと思う。

ただ単に「そういう大変さも、幸せな大変さなんだからいいじゃないか」とはあまり思わないようになった。

 

かつて私は遠方での結婚式を「仕事でどうしてもいけなくなった、ごめん」と3ヶ月前に断りを入れたことがあったが、そのときの友人が「えー・・・悲しい、ショック。本当に悲しいよ」というような反応であり、こっちが一方的に悪いような感じになり、なんやねんこいつと思ってしまったことがあった。

でもそれについても、「不安定なメンタルの中、ゲストで来てくれると思っていた人が来ないという知らせを受け、気持ちがさらにザワザワしただろう」ということを今になってやっと想像できる。

 

もっとも、ザワザワしていたとしても自分だったらそういう対応はしないだろうし、しないようにしたいと思うけど、当時の自分はなんでもかんでも「幸せなんだからそのくらいしょうがないだろ」と思うくらいにはどん底で不幸体質だった。

結婚する人もそれなりのストレスがある、ということは当然、そのときの自分も理屈ではよくわかっていたつもりだった。

でも、たぶんあまり共感的な気持ちではいなかった。

 

 

例えばの話、もし今私が結婚式をやることになったとして、ゲストに呼べるほど仲が良い人(手放しで喜んでくれるという自信がある人)なんて5人くらいだ。

地元の友達も含めて一生懸命頑張って集めたとしても、10人いくかいかないかだと思う。私も過去にはもう少し友達と呼べるほど仲のいい人が今より多くいたような気がするが、この歳になったらかなり疎遠になった人も多くいる。以前は20人くらいいたと思うが、今はこんなもんだ。

ただ、5人や10人の周辺には「一応ちょっと交流がある人」もいて、個人的には結婚式に呼ぶほどの仲ではなくても、他に呼ぶ人がいないので、その周辺の薄い関係の層も呼ばなくてはならないケースも往々にしてあるのはよく理解できる。だからこのような層にいた私は声をかけられたことが多かったのだろう。

呼ぶ側も気の毒だとか申し訳ないとどこかで思いながらも呼んだのかもしれない。

 

もっとも私の場合、そんな層まで呼んだりしたくないしそれなら身内だけで挙式したい派なんだけど、相手の家や相手の希望などもあって結婚式をやらざるをえないケースもあるだろう。

 

 

 

 

そういえば、結婚式に行く予定だった友人から「やむをえない事情で結婚式を延期する」と連絡がきてから半年がたつ。身内に不幸があったとかいろんな想像はできるけれども、一向に音沙汰がない。

きっととても大変であったと思うし今も大変なんだろうと推測するが、正直、彼女から招待状がきたときも返信はギリギリまで遅らせてしまっていた。

そのときは「自分は幸せかもしれないけど私は別にあなたとは違うからしんどいよ」と内心思ってしまっていた。

でも、元々とても優しい子で、返事が遅れたことについても特に何も気にしない様子だったし、結婚の報告を受けたときもおめでとうと言ったら「お前はいいかもしれないけど私はよくないよ、って思うよね。不快になったらごめんね。」と言われた。

そんなこと思わないよと言ったら「もし私がやよいちゃんの立場だったらそう思うもん。」と言われた。

 

招待する側からそんなことを言われたのは初めてだった。

 

(そのときは自分のメンタルがしんどかったけど)心から思っていなくてもいいから、もっとちゃんと祝福してあげたり、言葉をかけてあげたらよかったと後悔している。

 

 

 

今、よほど嫌いな相手でなければ、結婚式絡みなどで少し不快な思いをしても、できるだけ寛大な心で「そっか、まあいろいろあるから仕方ないよね、でも許してあげるか」と思おうという感じになってきた。

前みたいな「結婚式なんてわたしは大嫌いだ!!」っていうようなトゲトゲした気持ちはない。別にいい人ぶろうとしているつもりはなくて、やっと自然とそういう気持ちになれたというか。

 

以前の私と同じように思っている人は多々いらっしゃるとは思いますが「必ずしも彼らも幸せな自分に酔ってばかりで、他人に配慮する気持ちを失っているわけではないかもしれない」ということをここで書いておきます。

そう思っていない人に、そう思えと言いたいわけではありません。

かつての私が、こんなこと書いてあるブログを見たとしても「なんやねんいい子ぶりやがって」と思うかもしれないし、納得できるとは思わないから。

 

 

 

でも、とにかく書いておきたいんです。

人と喧嘩ができないということから気がついたこと。

こんばんは。お久しぶりです。

 

こないだ「彼氏できました」っていう投稿をしたときに、同時に仲の良い女友達とギクシャクしているという話をいったん投稿して非公開にしました。

あまりにも感情的に書き綴りすぎたので・・・仕切り直します。

 

あらためて最近思うんですが、「私って人と喧嘩をすることが苦手なんだろうな」と気付かされた。

 

私は兄弟がいなくて、(それが必ずしもすべての原因とは言い切れないけど)人と深く付き合うことが苦手だと思う。

ある程度の雑談や世間話や交流はそつなくこなすことができるんですが、一定のレベルを超えた関係になると、自分のコミュニケーション能力の低さを実感するというか。

 

人とどんな風にぶつかっていいかがわからなくて、言い争ったり、自分の言いにくいことを主張することがとても苦手。どういうふうに言ったらいいのかが全然わからないし、人に怒ったような態度を取れない。

相手が怒っていたり、お互いがえ?と思ったりしたときに、どんな風に喧嘩して、どんな風に仲直りしたらいいかわからなくて困惑することがある。小さい頃からそういう経験値がとても低いというのはやはりあるとは思う。

言い方が変なんですけど、そもそも喧嘩のふっかけかたがわからないし、そもそも人に対して怒りをぶつけることも抵抗がありまくる。相手に不満やモヤモヤをどう伝えていいかがわからない。どう距離を詰めていっていいかわからなくて、相手の出方待ちみたいなところがある。

相手も不器用なタイプだったらきっとお互い意地をはったままで、解決方法がわからないまま時間が過ぎていってしまうんだろうなと。

 

今回、そう思いました。

友達も私は普段はわりと思ったことを率直に言い合える関係だったというのもあるし、お互いまっすぐな性格であることが幸いしたのか、今回についてはうまく仲直りすることができた。

 

でも上手く言えないけど、これって恋愛でも関係あるよなって思って。

人と喧嘩したり仲直りして絆を深めていくことが苦手。相手とどんなふうにぶつかればいいかわからない。

 

 

喧嘩に限らず、相手との適切な距離の詰め方がわからない、苦手なんだろうと気がついた。それは私の課題だ。

仕事をしていてもそうだけど、私はよく喋ってくれる人とは割とすぐに仲良くなるし、コミュ障だと思われることはないと思うんです。

だけど、おとなしくて自分からしゃべらない、口数が少ない人と接するときは自分が本当にコミュ障だと思わされることばかりで。

この人はこうだからこういう話題から攻めていったら喋ってくれるんじゃないか、とか、今こういう反応だったからこういう風にいえばうまく楽しんでくれるんじゃないか、とか、そういう対応が上手にできる人が真のコミュニケーション上手だと思うのです。

でも私の場合、口数が少なかったり反応が薄い人相手にも、普通に喋ってくれる人と同じ話題提供や反応や返ししかできないな、と思いました。それでやはり相手の反応が薄かったり、いまいち盛り上がらなかったりして、ますますそれ以上発言していく自信がなくなる。そういうことが多い。

 

こないだ仕事関連で受けたセミナーで聞いた話で心に残ったことがあった。

コミュニケーションが上手な人というのは「最もコミュニケーションしにくいと思われる相手とも良好にコミュニケーションを取れる人」のことであり、喋りやすい人と円滑に話ができることはコミュニケーション上手とは言わない、と講師が言っていました。

 

私の場合、キャッチしやすい球しか取れないし、打ち返しやすい球しか返せない。

変化球でも意地悪な球でも上手に返せる人になりたい。

ぶつかったとき、人とぶつかろうとするときにこそコミュニケーション能力というのが問われると思う。

 

 

 

 

彼氏ができると「これはどの程度言っていいんだろうか」とか「この問題はどんなふうに伝えたらいいんだろうか」とかふと思うことがやはり多い。

普段の友達づきあいよりも込み入った話をすることも多いし、もちろん親密になる上で、仕事や上辺の付き合いでは言わないようなことを話したりする機会も増えますよね。

そういうときに本当に思う。

マニュアルに沿って人付き合いを進めているつもりはもちろんないけど、関係性が深くなると「こういうときはこういう風に言うもんだ」みたいなある程度の常識や経験から思いつく返しだけでは対応できない場面ってかなり多い。

もちろんそれが面白いんだけど。

 

もっとこういう言い方をしたかったとか、このときはこうするべきだった、とか、後で思い返して反省することが多々ある。

または、他の人が対応しているのを見て、ああ、私ができなかった対応をしているなと感じ、この人はコミュニケーションが上手だなあと感心する一方で落胆することもある。

 

とにかく総括すると、喧嘩したときに限らず、私は「とっさの発言や判断・対応を誤ったり、やってしまったなと思うことは結構あるので自分のコミュニケーション力や対応力の低さを実感する日々である」ということです。

 

それを最近ある人に相談したんです。

そしたらその人は「もちろん経験値を上げるしかないっていうところはある」と言った上で、こう言ってくれた。

「とっさの判断に困ったときや、どうしようって思ったときは固まりがちだけど、その時自分だったらどうしてほしいか?ということを考えるのよ。もう一人の自分に聞くの。もし自分がこの相手だったらどうしてほしいのかとその瞬間で考えて決める。本当にこれでいいのかと迷ったときは、自分だったらどうされたら嬉しい?と考える。当たり前のようで、意外とやってないと思うよ。」と。

 

最初、それを聞いたときは「でも、感じ方は人によって違うし、自分はそれをされたら嬉しくても相手はそういうのは困るというケースは結構あると思うんだけど・・・自分より相手にとってそれが嬉しいかどうかが重要なのでは?」と思っていた。

でも、結局は相手の場合はどうだろうと推測したり考えたりしているから、余計におどおどした感じになってしまうんじゃないかとやっと気がついた。

結局いくら想像しても本当の相手の気持ちなんてわからないし。

 

もちろん、この人はこういうことが嫌いだから、とはっきりわかっていることはしなければいいと思うんだけど、多くの場合はそれがグレーゾーンだから「この人はこれはどう思うかな」と対応に困ったり悩んだりするわけで。

そういうとき「自分はこうされたら嬉しいからこうする」とか「自分はこういう風に聞いてほしいと思うからこう言う」っていう風に堂々と行動するほうがいいのかも

 

そのほうがある意味心を開いてるし、意思表示や自己開示になるかもしれないなと思った。最初の喧嘩の話とずれたけど、私の中で他者とコミュニケーションを取ることは結構課題だなと最近気付かされたので、いろいろと向上できるようにしたいなと思う日々です。

 

 

あと、これに限らず、彼氏と話していて気がつくことはやはり多くて。

うすうす自覚していたことも多いけど、自分が思っている以上にプライドが高いということや嫉妬心が強くて独占欲が強いということ、ちょっとしただらしなさ、ルーズなところがすごく自覚させられる。

嫉妬についてはまたちょっとトピックにしたいと思っているのですが。笑

でも、自分の良いところにも気づく機会がある。

自分のことを素直にいいねって思ってくれる、認めてくれる人がいるというだけでとても嬉しくて、卑屈な気持ちに負けないように頑張りたいって、なる。

 

 

そんな感じです。

不毛な恋愛をしていた去年よりはちょっと成長できてると思う。

暮らし方には、その人の生き方が映し出される。

こんにちは。体調を崩して家にいるのでブログを書きます。

 

 

私がよく飲みに行く人で、医療関係の仕事をしている人がいるのですが、その方が先日話していたエピソードがなんだかとても考えさせられるものでした。

 

救急車で運ばれてきた人や急に倒れてしまった方など、自力で病院に来れない人と対峙する機会が山ほどあるけど、そんなとき、その人の普段の暮らしが垣間見えてしまうのだとか。

 

当然ですが、救急車などで運ばれるからにはその人は予期してそこに運ばれてきているわけではないので、見られるという意識も準備もなく医療機関に向かうことになりますよね。だからある意味普段の(人に見られないと思っているときの)その人の様子がしっかりわかるなって思うことがあるらしい。

例えば、ものすごくヨレヨレのパジャマを着ていたりとか、何年使ってる?ってほど下着がボロボロだったり、引くほどびっくりすることが時々あるんだそうです。

 

一方で、最近突然倒れてしまった人を担架で運んで、その人のカバンから代わりに荷物を出してあげたとき、本当にきれいに整理されているバッグだったらしく「この人、きちんとしてるんだなあと一瞬とても感心した」と言っていました。

 

とにかく、普段ほかの人の前に出るときって準備できた状態で出るのである程度ちゃんとしているかもしれないけど、誰も見ていないとついつい、人にはとても見せられない事をしてしまっているようなときって、、ありませんか?(私はありました)

 

もちろん、リラックスした姿でいるのはいいと思うんですけど、万人が「くつろいでいる家モード=だらしない」というわけではない(リラックスしているのと、きちんとしてないこととは、ちょっと違う)と思うのですよね。

生きてると、緊急時に誰かに部屋を見られたケースとかも同じようなことがあるでしょうけど、私は以前「もし今私がここで倒れて救急車を呼んだら、適当に暮らしているのがまるわかりだなあ」って思ってしまう時がありました。

もっともそういう緊急事態が起きたら、ひどい状態を見てしまったほうの側はそんなこと言ってる場合じゃないし、こういう意見はある意味不謹慎なのかもしれませんが。

 

 

つまり何が言いたかったかというと、この話を聞いて「今は誰も見てないからいいや」みたいに思っていることって、自分が考えていた以上に多いなと意識したのです。

 

 

例えば、私は前の会社にいたとき、通勤時に人に見られることが少ないと思っていたので、本当に気を抜いた態度で車内や駅構内で過ごしていました。

足を組んで座っていたり、端の席に座っている時は、椅子のサイドにもたれかかったりなど。あと、ほぼすっぴんでいたりとか(会社に着くの早いし、会社ですればいいかと思っていた)。人に見られているときだったらできない態度をとっていました。

 

そんなある時、会社の人と世間話をしていたら「時々電車でやよいさんのことを見かけるんですよね」と言われたんです。そのとき私が凍り付いたのは言うまでもありません。

その人は「いつもと違って、すごく疲れた感じなので話しかけづらくて」と言っていて、ああ…見られてしまった…と思ってました。

 

同じ会社の人を電車で見かけることもめったになく、「この電車に乗っているときは会社の人なんかには見られてないだろう」と思っていたんです。

 

 

 

それに限らず、いざとなったときに他人に私の暮らし方を見られたらどうだろう?って、最近とみに考えていて。

「人に見られるからちゃんとしていないといけない」とか、「今は自分ひとりだからバレさえしなければ、どんな感じでもいい」ということではないような気がしてきているのです。

 

丁寧に毎日生活できてるなっていう時と、そうでもない、横着してるなって思う時とでは、やはり自分自身の状態も違ったりします。暮らし方が変わったら生き方も変わるっていうのは本当にそうかな、と思ったり。

 

最近はこまめに部屋がきれいかどうか(意識せずとも)気になるようになり、よく掃除もするようになりました。

 

 

 

 

 

最後になりましたが、5月から別ブログをはじめました。

美容や自分磨き的な内容が主になっていて、このブログと分けたいと思いまして。。

もしよかったらこちらもぜひ…

sanju.hatenablog.com

適齢期の女が初めて占いに行って思ったこと。

こんばんは。

 

前回の記事でもちらっと書きましたが、同僚に誘われて、初めて「占い」なるものに行ってきました。

30分で約5000円でした。

ちなみに私は雑誌の占いを見たりはするけど、別に占いやスピリチュアルなことに対して信心があるほうではないと思います。興味が全くないわけではないけど、少なくともあまり占いにお金をかけるという考えはなかったかなと。

ただでも、同世代の人たちが行く占いがどんなものなのか興味だけはあったので、今回行ってよかったかなとは思います。なのでちょっと忘れないうちにレポートしてみる。

 

 

「私、20分も聞くことあるかわかんないんだけどw」と言って暗に占い師に5000円もお金を払いたくないことを同僚に伝えてみたけど、とりあえず30分刻みになってしまってるみたいだから、まあごちゃごちゃ言わないで経験のひとつとしてお金を払うことにした。

占いがどのようなシステムかいまいちよくわかってなかったけど、友達が部屋に入っている間も同伴者も一緒に入って聞くのはオッケーなんだなと。(まあ、よく見聞きする光景だけど、ある意味太っ腹だと思いません?)場所によってはNGのところもあるのかもしれませんし、2人とも見てもらうことが前提で同伴OKなのかもしれない。

 

 

で、今回の占いは当たると評判だったところに行ったので、まあ少しはどんなものだろうと思っていたのだけど、簡潔に感想を述べると「それ当たり前や!」って言ってしまいたくなるようなことばかり言われた気がした。

私はちょっとひねくれてるのか、疑い深い性格だからなのか、あまり占い師の言っていることを「当たってる~…なんでわかるんでしょう…」とか思っていなくて。

 

なぜならまず、大体私たちが話した内容や、話している感じの印象で読み取れる情報から推測して言えるようなことが多かったから。

 

それが悪いとか言っているわけでなく、占い師の方をインチキ扱いしたいわけでもなく、ただなんとなくそういうふうに感じたからです。もちろん手相とかそういう勉強はきちんとされているんでしょうけど、手相の知識をプラスアルファで言ってくれた人生相談って感じな気がしました。

 

まず、私の同僚は特に今付き合っている人がいなくて、やりとりしている相手や好きな人も特にいなくて「どうしたらいいんでしょう」みたいな相談をしていたんだけど(もったいない気がする)「まずあなたは、別に恋愛の相が壊滅的に悪いわけじゃなくて、動けばそれなりの結果は出るような感じなんですけどね。なにぶん行動をしてこなかったから何もないんでしょう」と言われていた。

 

動けばちゃんと結果が出る人っていうのは、おそらく同僚の見た目からして(美人だししゃべってる様子も普通だから)私でも「自分が行動すればモテるのにもったいない」と思うし事実そうだと思うので、そりゃそう言えば当たってる感はある。

 

別にケチつけるわけじゃないけど「まず、とにかく出会いの場に行ってください。その先の出会いはいくつかあるんですけど、まずはそこからです。とにかく出会いの場にいくことです。習い事かサークルかなにか」って言われて、それ人生相談で普通言うことだよな…私でもそう言うわと思った。

 

あとは私のことも「あまり仕事に生きようっていうふうな考えの方ではないでしょう」と言われたのですが、それは私の印象(多分見た目の感じや話し方を見て、大人しめの女性に見えるのだと思う)で言ってないか?と思ってしまった。

私はよく従順で真面目そうに見られるし、どっちかというと主張しない感じに見た目は思われるのですが、実は結構尖ってるというか、たぶんそのへんはたくさんの人が驚いてきたことだと思うので、完全に印象でいってるだろーと思って。

安定したい面がないわけではないですが、私はどっちかというと本当にキャリア志向側の人間だったと思うし、職場でも一番主張強い人間だと思います…そのあたりでもなんか、ああ~当たってはないかも…みたいな。

 

あと「お金を払って占ってもらおう」というモチベーションが基本的にはあまりないものだから余計にそう思うのかもしれないけど、私だったら好きな人がいないときには占いに行こうとは思わない。でも、同行者の同僚はそういう感じでした。

そういう状況で、どうしてもだれかに何か聞きたいのなら、私は占いではなくて有料の恋愛相談みたいなのに行くことをお勧めします。

なぜかというと「出会いの場に行け」というわかりきったアドバイスしかくれないし、もしそれで行って、言われた印象の通りの感じの人に出会ったとしても、それ占いに行ってもいかなくても結果変わらなくない?と思ったり。

 

 

あと、今の相手との相性や、その人が一体これからの自分にとってどうなのか、というのは、どんな言われ方をするか気になるもので、私は唯一それを楽しみにしていたのですが、生年月日を言おうとしていたのに、その人との相性みたいなものは教えてもらえませんでした。

いわれたのは、今の状況を話したときに「その人を手放すのはちょっともったいないけど、将来的にずっと一緒にいられるかといわれると、わからない。条件面ではもっといいひととの出会いはある」と。

あとはその前に恋していた人はなかなかきちんと付き合ってくれなかったと言ったら「その人が好きならいいけど、ただ結婚したいならその人を待ってたら婚期逃しますよ」と。まあ誰でも私の状況聞いたら、そりゃそう言うわなと。

特に目からうろことか、そうなのか!思いつかなかった…みたいなアドバイスとかはなかった。

 

とにかく、具体的に相性とかを教えてもらえなかったのは、ちょっと、えええ…って思ってしまった(たぶんその占い師さんは手相しか見ない人だったから四柱推命とかの人なら生年月日とか聞いて相性に関する見解を言ってくれるとは思う)。

私にはほぼ人生相談にしか思えなくて、あとは手相の知識からみて私の手相で特徴的に出ていることを選んでいってくれてる感じ。それで十分っちゃ十分なのかもしれないけど、なんだかなあと思った。

 

5000円あれば脱毛1回分できるやんとか、映画3回見れるやんとか、いろいろと考えてしまったあたり、私は占いにハマらない人間なんだろうなと思った。

 

繰り返しになりますが、占いにケチつけてるわけじゃないし、本当にこれはこれで面白かったなとは思ってるんですが。

それに占い師の言っていたことやアドバイスはあながち間違ってもいないとは思います。

なぜなら、スピリチュアルな面で信じているというわけではないのですが、ある程度たくさんの人を見て(占って)きている人ってなんとなく、その人がどうなっていくのか読めるのかなと。私は占いって「統計学」に限りなく近いのではないかと思っていて。

たくさんの人をみる仕事なんだから、大体どんな感じかってわかってくるじゃないですか。だから、占い師から言われることって、たとえ人生相談の回答に近い内容だったとしても、ある程度信憑性がある(というか参考になる)かなとは思うので。

 

なので言われたことは私も気を付けていこうと思っています。

そういう意味では背中を押してくれるきっかけになったので、お金を払っただけの価値があったと少しでも思えるように、行動のきっかけにしていこうと思いました。

未婚アラサーの友達付き合いの話。

こんばんは。

GWいかがお過ごしでしょうか。

 

 

私は相変わらずではありますが、ここ数か月で環境などが変わったりして、忙しく過ごしてました。

 

私は2017年が恋愛面でもそれ以外でも動きがいろいろあったからなのか、自分について見直したりすることが多くなっていた気がします。

それと同時に(これは意識的にそうしたわけではないのですが)今までのように、単に気が合う未婚の女友達とつるんでばかりの毎日ではなくなっていました。

で、最近、付き合う友達がちょっと変わってきたかも…と思うことが増えたので、この記事を書きます。

 

 

 

私の会社で同じセクションの同世代女性が6人いるのですが、そのうちの未婚3人が結構いつもつるんでいて、私は「楽しそうだし仲いいんだな」と思いながら見ていたのですが、正直、同世代の私からは3人とも「まあ結婚願望あまりないんだろうな」というふうに見えてました。

 

「彼氏ほしくない」とは思ってないだろうけど、これはこれでいいんじゃないかって感じかな、今は趣味や日常の楽しいことが優先なんだろうな、という感じを受けていました。人のことはまったく言えないけど、この3人から色気のようなものは感じなかった。

でも実はよく聞いてみると3人とも割と結婚願望あるとのこと。

その中の1人とは以前割と仲が良かったのですが、最近久しぶりにプライベートなことを話す機会があって近況を聞いてみた。

以前から「結婚については焦る気持ちがないわけじゃないんだろうけど、たぶん本気で焦ってはいないんだろうな」と私はその子に対して思っていて。でも、婚活を再開するといっていたので、だれか気になる人できた?と聞いてみたら、特にいないとのこと。

結局、彼女とはあまり恋愛の話が続かず(疎遠だった期間、気になる人がいたり何か恋愛で動きがあったわけではないからネタがないというのもあるかも)今はまっている趣味などの話を聞いたりして終わりました。

ですが「恋愛のことを占ってほしいから一緒に占いいかない?」と誘ってもらって一緒に行ったら、やはり思っていた以上に結婚や恋愛のことが気になってはいるみたいで少し驚いた。

 

彼女はその占いで「好きな人とかはいないんですけど、いつどこで出会えますか?」と質問していて「そんなこと聞くんだったら知り合いの男ととりあえずデートしてみるか、出会いの場に行けばいいのに」と思ってしまっていた。

何度も言いますが、私は偉そうに人のことを言える立場ではなく、非難めいた気持ちはないです。ただ、第三者的な視点で彼女を見たらそう思った。

 

 

また別の友達でも、明らかに望みが薄すぎるから早く他を探したほうがいいと思われる男性に一途に片思いしていて、非常に苦しそうな子がいます。

その子とも久しぶりに会ってきたのですが、まあいつも会うたびに「やはりその人のことが忘れられなくてまだ連絡をとっている」とかそういう話をここ5年くらいの間、聞いています。

これについても上から目線でものを言うつもりはない。

私も去年、これ以上好きな人にはもう出会わないだろうなっていうほどの相手に出会って苦しんでしまったし、その子の気持ちは痛いほどわかる。話を聞いていると、その相手のことが好きで仕方ないのもよく伝わってくるので、心底共感はします。

今までは話を聞いていて「そうだよね、でも好きなもんはどうしようもないよね。忘れられないよね」と言ってたのですが、あまりにもいつも言っていることが変わりなさ過ぎて、この前会ったときは「それいつまで言ってるの?」と、ちょっとしたモヤモヤを感じてしまいました。

本当に心底もったいないと思ったので「もう忘れよう。(その子は相手に告白もしたし気持ちも伝えてるので)できることはもう全部やったやん。縁があればまた繋がるし、今すぐはやる気がないかもしれないけど、結婚したいと思ってたら次探したほうがいい恋愛できるかもよ」と言いました。

でも、5年片思いし続けただけあって、やはりその人が好きすぎて動けないとのこと。

 

本当にもったいないし、やきもきするような感覚があった。気持ちはわかるけど、相手はほかにもいると思うから。

ううん、正しくは、彼のことが「人生で一番好きだった人」ということは、この先だれに出会っても変わらないのかもしれない。(もしかしたらもっと好きな人が現れる可能性もあるかもしれないけど)でも、ポイントは「いちばん好きな人」ではないと思っているのです。

 

確かに、これから出会う予定の人も含めて「人生で出会う男」を全員並べて、もし同じ時期に一斉にその人たちと出会ったらどう?と聞いたら「やはりその彼が一番好き」と思うかもしれない。

でも、「人生で一番のパートナー」は絶対ほかにもいるでしょ、と思うのです。決して「自分が一番惹かれる人」が一番いいパートナーとは限らないんじゃないかと。

 

「好きと結婚はまた違う」っていうのは、乱暴に言えば「結婚は経済面での安定などそのほかにも必要なことがあるから、相手がさほど好きじゃなくても妥協しろ」という意味だと解釈していました。

でもたぶん違うよな、と最近思う。そういうことじゃないんですよねきっと。

 

基本的には、もちろん好きじゃないと結婚できないと思う。

でもその「好き」って単にドキドキしたり、恋愛で味わう刺激的な感情、この人と自分は何か一致するものがある、みたいな波長の一致を感じたり、運命的な何かを感じたり、そういうのじゃなくても十分ありうるなと。

つまり「運命の人だと自分が思っている人」じゃない人の中にもベストパートナーがいるんじゃないかと。

 

 

 

とにかく「気持ちはわからんでもないんだけど、本当に彼氏作る気あるか?本当に結婚したいの?」と思ってしまう友達と距離を取ろうと思うことがここ1年間くらいの間でかなり増えました。

何も、結婚に対するポテンシャルが高くない人とは友達をやめるとかそういう気はないです。その人たちの人間的魅力は変わらないし。

でも、「今は」とりあえず、そういう子と頻繁につるむのはやめよう、と思い始めています。

 

前は一緒に感傷的になって「わかるなー…」と思ってたのですが、今は違う。「でも好きだからしょうがなくて」とか言われても「そんなことずっと言っててもしょうがないでしょ」と思ってしまうし、そんなどうしようもない恋愛の相談を聞くするために会うより、何か楽しい話題のほうがいいし、情報交換するなら貯金の話とか婚活・美容の話でもしたいわ、と思ってしまったりする…

 

私も、今の自分の心境で左右されているから極めて自分勝手だとは思うけど、それだけ自分の気持ちが変わったんだなと思う。

 

今までは逆に、既婚の友達に対して距離を置きたいと思うことがあったのですが(それは単に自分が引け目を感じてしまうからとか、自分と比べて勝手にみじめになってしまうからとか、そういう理由だったと思います)今はそうではない気がする。

 

 

別に結婚することだけが全てではないし、どんなふうに過ごしてもそれは個人の価値観の違いもあるので正解はないと思います。

でも時間は限られていて、いわゆる平日の仕事終わりの時間だって、何かしてたらすぐに終わってしまう。休日も2日しかない。身の回りのこと以外でやりたいこと、結婚前にやっておきたいことはたくさんあるのであっという間。

 

毎週のように同性の子と(色気のない)女子会ばかりやってられないな、と。

もちろん女子会の時間もいいのですが、無限にあるわけではないので、使い方を自分なりに考えようと思っています。友達がいらないと思っているわけではありません。

なんだかまるで批判しているみたいに書いた前述の彼女たちのことは好きだし、いっしょに遊びたくないと思ってるわけでもありません。

 

でも不思議なことに「なんか今までみたいに遊ぶのは違うなあ」と感じる友達も増えてきて、以前はこんなふうな考え方ではなかったので、自分でも少し変わったな、と思います。

 

 

言い方が難しいけど、今の気持ちだけに左右されたり叶わないことに縋るのではなく、やっと少しは前を見て婚活することができるようになったのかなと。

便りがないのは?

更新が久しぶりになったものの、一応生きてます。

 

便りがないのは良い便りとよく言いますが、今日は3.11の日、そうはいっても明日何が起こるかわからないんだから、ということを思い起こさせられる日だからかもしれません。

 

便りがないのは元気な証拠とは限らないですよね。

 

 

1か月ブログを更新していなかった間の私の場合、どちらでもないような感じがします。

更新しなかったからといって事件が何もなかったわけでもなく、調子がよかったわけでもなかったし、悲しいことばかりでもなかったし、かといって「今色々うまくいってる」って感じもなく。

 

 

同じように、だれかから連絡がこないと、もしかしたら何かあったのかな、と頭をよぎることがあります。同時に、そんなことは99%ないだろうといつも思うのですが。

でも、過去にそういう突然のことがあったからこそ、怖いなと思う時が今でもある。今回もその時なのではないか、と「もしかして」とよぎる瞬間が。

 

 

 

生きてるってすごい不思議だなと時々思うことがある。

仏教の教えじゃないけど、生かされてる、に近いのかもしれない。

 

 

そう思うと、自分の気持ちは素直に伝えて、自分のやりたいことはちゃんとその都度やっていったほうがいい。ほんと、そう思う。

 

 

そう思う。

けど、実際に「いつ何が起こるかわからないんだから勇気だしてやってみよう」と思っていざやってみると過剰だったり、よくない結果になって恥ずかしくなったり、逆効果だったり、してしまうことがある。(私はそうだった)

 

だから、「何にしても後悔のないようにやらなきゃダメ」とかよく言うけど、そういう風に思って行動したときはたいてい失敗したことが多いよ。と私は思っていたんです。

 

でも今思えば、多分その行動をしたことが悪かったんではなくて、その行動による結果はそうだったと決まっていたんだろうから、一概に行動することは悪いことだったとは言えないかなと。

黙っていてもその答えがいつかわかる日が来たかもしれないから、早いうちに学びがあったほうがよかったのかもしれません。

 

 

 

生きてると、うまくいかないことがたくさんあって、つらいこともたくさんある。

私はペシミスティックな面があるので余計につらさや切なさを強く感じるほうかもしれませんけど、それでも苦しいことって多いんですよね。

 

円滑にとんとん拍子にうまくいっていることもあれば、なんでこんなにもうまくいかないんだろう?と思うこともあります。

 

 

約束しても突然なくなることもある。

「もしかしたらそういうことするかもな」と思うような相手っているじゃないですか。

一応そうする約束したけど、まあ、この人は、土壇場でキャンセルしてくるかもなあって思ってしまうような、危うい感じの相手って。

でも、そうじゃなくて「多分約束は守ってくれるだろうな、守れなくなった場合は礼を尽くしてくれるだろうな」と思った人でも

「この人はそういう人じゃないから」と思っていても、実際に、他人から見て本当にそういうことはしなさそうな人であっても、突然何も告げずにいなくなることもあるんです。

 

 

 

だから「大丈夫だから待ってみよう」みたいに思うことが私は本当に苦手でした。

相手を信じることなんて出来なかった。

 

 

 

だけど、それも結局、相手に依存していたからかもしれないと最近思う。

過剰に「この人も、私の前からいなくなるんじゃないか」と不安になるのは。

 

 

そのひとがいなくなったら、どうしよう。と思うほど大切な人がいるのは、とてもいいこと。それくらい、大切だと思っているということ。

だから「誰のことも大切じゃない」と思って生きるよりも健全であり、素敵なことだと思う。

 

 

でも、人はみんないつかいなくなる。つらいけど、嫌だけど、その人がいなくても、自分で保っていかなくちゃいけない。

 

大切な人がいるんだったら、その人がもういないんだったら、「その大切な誰かと心がつながったことがある」と思った経験を胸に、進んでいかなきゃいけないかなと思う。

また繋がることもあるかもしれないし、つながらないかもしれないけど、

一概に自分が悪いわけじゃない。相手も悪いかもしれない。

そういうふうになる運命だったかもしれない。

 

 

 

だから、どんな風であっても、やっぱり進んでいきたいと思う。

あまり自分を「ダメだった」と痛みつけすぎずに。