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さみしさサヨナラ会議

恋愛で行き詰ったとき、いつも読む本がある。 

さみしさサヨナラ会議

さみしさサヨナラ会議

  • 作者: 小池 龍之介,宮崎 哲弥
  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2011/06/30
  • メディア: 単行本
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著者というか対談に出てくる小池龍之介氏の著書が好きで、私はいくつも持っているのですが、この本でお話しされている内容は、結構しっくりくるものが多いのです。

私は感受性が強すぎて、人間の欲や煩悩みたいなものも人一倍強くなってしまっていることを、10代のころから自覚していました。要するに考えすぎ(しかも結構ネガティブに)なんです。考えても仕方ないことを突き詰めていくというか。

 

恋に幻想はつきものだけれど、当然「これは幻想だよね」ということなんてほとんどの人は意識していないと思う。

例えば、自分のために何かをしてくれた、自分のためにここに連れて行ってくれた、デートプランを考えてくれた、自分を抱きしめてくれた、キスしてくれた、などのことから好きな相手からの愛情を感じると「相手と心が通じている、つながっている」と感じると思う。でも、そういうことを実感していた相手でも簡単に心変わりしたり冷めたりするのが人の心の無常であって。

その心変わりにもなかなか感情面での折り合いをつけられない私でした。

 

 

そんな時にはいつもこの本を読むと、ちょっと助けられる。ある意味残酷なんだけど、なぜかもっともだな、と思えるので、それを受け入れられるんです。

たとえば、心変わりについてもこれが参考になった。

「私たち、つながっているよね」という幻想が壊されたのではない。「元々、つながってなんかいられなかった」のだと。だから、それを自覚していられたら、相手との間に心理的な距離感が生まれるので、過度に相手に求めたら期待することをやめられる。

 

 私はたぶん相手に対してそういう幻想を持ちすぎていたのだと思う。恋愛体質な人って特にそうだと思うけど、感情ベースで考えすぎてるからそういう風になりやすいのかも。逆にあまり恋愛体質じゃない人を見ていると、「合わなかったんだな、仕方ない。」で割とすぐに感情面での折り合いもつけられている人も多くて、本当に私はそれがうらやましかった。

 

 

私はなんというか、自分の「欲」が強すぎて、「自分が好きになった人に愛されたい」という強い期待を知らず知らずのうちにもっていた気がする。

この本や小池さんのほかの著書でも書かれているけど、恋愛って「世界で自分が一番」になれるという、究極の差別だ。欠乏感だらけの心が満たされるような、そういう錯覚に陥ることをやっているわけで。私のような感情型人間は、特にそれに大きく揺り動かされてしまうのです。

 

小池さんのほかの本でも、弱い自分が見えた時に「あーよしよし、自分はこうしたかったのに、こうならなかったから苦しいんだね。よしよし」と弱い自分を「自分はこうなんだね」とただ思ってあげること、とアドバイスされていた。

 

私の場合、その人から一時は大事だと思われたのに、すぐに裏切られるようなことがあって、混乱してるし、わけわかんなくなってるんだね、うんうん。

って感じかな、今の自分は。

 

自分の感情を丸出しにした日記を書いて見苦しいけど、それはそれで人間らしい感情だと思うし、あとあと見返して省みることもできる。それに、こんな人もいるしみんな頑張ろう。負けないで。って同じように恋してる人や婚活中の人に伝えたい。

 

 

付き合った人とお別れしたことをここで報告しましたが、やはりその直後の土日は最悪なものでした。

別れた直後は涙があふれてつらかったけど、それ以降の平日はもう全然大丈夫だったのに、もう、自分が何をしていいか全然わからなかった。

一瞬、会社に行ったんだけど、仕事にも集中できなくて帰ってきた。無理やりほかのことをして気分転換しようと思ったのに、本当にできなかった。

恥ずかしながら、大人になってからこんなにノイローゼっぽくなったのは初めてで、なかば絶望的な感情すらありました。諸条件を考えたら悪いところもたくさんあるのに、これほど一緒にいてしっくりくる人を見たのは初めてだったからだと思う。

 

 

ふだん、母親に恋愛の話なんて絶対しないんだけど、今回ばっかりはあまりにも辛すぎてどうしても誰かに話したかったので、一部始終を話した。あまりに取り乱してるので友達には言えなかった。。

母親には「やっぱり違うかもと思った、ごめん」ってことでしょ?よく考えたらあんたと付き合うことはやめたほうがいいと思ったってことでしょ?なんでそんなにネガティブに考えるの?と言われた。好きな人から好かれたんだから自信持ったら??ともいわれた。

 

母は前向きだった。私にはまったくない発想だった。

※私はネガティブなので、三つ子のときから「確かにこの人ならもっともっといい人いるだろうし、私なんか選んでもらえるはずないよね。」みたいな思考回路しかない。

 

 

人は基本的にはわかりあえない。

いくらフィーリングで「この人だ」と思えるほど好きな人でも。人は基本的にはわかりあえないものだ。だから、いい意味で突き放して見れていたらよかったのにそれができない。

私はモテないくせに俗にいう恋愛体質気味なところがあって、結構恋をすると盲目になるほうだった。好きな相手の好きなものも、すごく興味が出てきて、相手のことを全力で理解したい、相手の色に染まりたい、と思っちゃう。

 

今回に限らずいつもそうだ。

究極的にはもう完全に他人なんだから、期待しちゃダメ。違う人生を歩む中で、少しずつ相手と一緒にいて楽しい時間を共有できれば幸せだよね。そういう考え方が一番いいのかな。私が自分自身にもっともっと自信が持てたなら、こんな風に依存心の強い恋愛にはならないんじゃないかな。そう思った。

 

好きな人と一緒にずっと過ごしたい、愛される存在になりたい、ずっとそう思っていた。でもそれは愛する人を失った時の、心の欠乏感を埋めたくて言っているんだよね。私はとっても寂しいので、こうやって自分のどうにもならない感情をここで吐き出している、そういう側面もあるのかもしれない。

 

とはいえ、すぐに次の恋愛を無理くりおしこんでも、私は受け入れられない気がした。私が今味わっている絶望は「好きな人とのお別れ」だけど、やっぱりすぐにほかの男性を好きになろうとはできない。

 

 

 

日にち薬がきいて、完全に笑い飛ばすことができる日がきたらいいな。早くその日が来てほしい、と思うけど、その前に、私はこの一人の日々をかみしめて生きることが自分の糧になるのかもしれない。

 

今まで向き合ってこなかった自分の欠点も、、この機会に改善するきっかけだよね。

 

 

 

とても重い腰を上げて、運動しに行ってみる!